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huangfeili

農家に泊めても

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農家に泊めても


「再審の件では随分世話になったそうで……ありがとう」
部屋に入るなり、照生は膝を突いて座り込むと、手をついて深々と頭を下げた。
真鶴の突端の小さな宿が、幸いにも、ひと部屋だけ空いていたのだ。
墓参りを済ませDream beauty pro 脫毛、歩き始めた照生の手に絡ませた指を解きたくなくて、
黙り込んで目も合わせない照生を強引に引っ張って、真鶴まで来た。
湯河原では八木沢家を知る人がまだいるだろうかと、私が勝手に気を回しただけだ。
ペンションに毛の生えたようなホテルだが、
パノラマ・オーシャンビューを売り物にしているだけあって、窓の外は一面の大海原。
落暉に焼かれた波の散光が、部屋の中をも橙色に染める。

「顔を上げて。お願い保嬰丹、そんなことしないで」
再審に際して、私の名前は一切出していない。
弁護士が、かえってややこしくなるからと、浅井由美子の自首という形を取ったのだ。
だから、照生に伝わっていなくても仕方ないと思っていたのに。
「誰に聞いたの? 弁護士さん?」
照生は、黙って頷く。
私は照生の手を引っ張って立たせ、窓際に置かれた椅子に誘った。

「きれい。海はいいわね」
「ガキの頃蘆薈、海は見えるのが当たり前だと思ってた」
「うらやましいな。……今は、どこに住んでるの?」
世間話の範疇だろうと思ったが、照生は答えなかった。
答えたくないのだろうか。そうまでして、どうして私を避けるのか。その理由が知りたい。

「私、あれからすぐ、駈の学校が始まる前に名古屋に越したの。
あれってほら……照生さんがウチに来た、あの夏のことよ。
今も名古屋。もう12年以上になるわ」
照生は黙って頷く。
「駈は、もうすぐ25歳よ。信じられないでしょ」
「俺の中じゃ、まだ小学生の坊主だけどな。
利発でのみ込みのいい、よく言や大人びた、悪く言やマセた子だったな」

海から視線をそらそうとしない照生の髪に、白いものが混じっている。
口ひげだけ伸ばしているが、そこにも白髪が。
きっと自分も、歳相応に老けたと見られているのだろう。
過ぎた年月を、どうやって埋めようか、途方に暮れて私も海を見た。

「ずっと会いたいと思ってたの。忘れたことなんてなかった。
名古屋に移ってからの6年間は、あなたの無実を証明しようと必死だった。
再審裁判は東京だったし、仕事もあって傍聴に行けなかったの。
弁護士さんに何度頼んでも、出所後の居場所は教えてもらえなかった。
あなたの意思だって……本当?」
照生は、わずかに頷く。
どうして、と尋ねると、困った顔で口ひげを撫で、言いにくそうに照生は答えた。
「もう忘れてるだろうと思ってたから」
「忘れるわけないでしょ」
強めた声に、照生は視線を落とす。
「忘れててほしかったんだよ。俺に関わって何になる? 迷惑をかけるだけだ。
実際、とんでもない迷惑をかけた。あんたの一生を、滅茶苦茶にした。
どんなに詫びても侘び足りない。俺はあんたの大事な時間を……」
膝の上に置いた両の拳を握り締め、照生は項垂れ、声を詰まらせた。
私は次の言葉を待ちきれず、半ば身を乗り出して訴える。
「滅茶苦茶になんかしてないよ。無駄にもしてない。
照生さんのこと、考えてる時間は、ずっと一緒にいるつもりになれた。
会えなくても、自分の気持ち、伝わってるような気がした。
忘れることなんてできなかったよ。あの夏……あの家で過ごした時間は、
嘘じゃなかったよね? ねえ……嘘じゃなかったんでしょ?」

何か言ってよ、と涙ぐむ私の前で、照生はひたすら困った顔で黙り続けた。
秋の入日は足早で、あっという間に光を失う。
海の底にいるようで怖くなり、私は電気をつけに立った。

部屋が明るくなると、窓は鏡のようにふたりを映し出す。
疲れ果てた熟年の男と女の姿が、過ぎ去った年月を残酷なまでに物語っていた。
私は窓辺に戻らず、座椅子に座った。
照生が距離を求めているような気がしたからだ。

「髪、伸びたんだな」
と、照生はバツが悪そうに話をそらした。
「前はもっと……短かっただろ」
「最近、伸ばしたの。ずっと短かったんだけどね」
私は、思い出したように秋物のハーフコートを脱いだ。
「墓で見た時は一瞬、似てるけど別人かな……って思ったんだ」
「毎年、お参りに来てたのよ、会えるかと思って」
「なんとなくわかったよ。掃除してくれるような人、他に思いつかなかったし」
「でも、今まで全く会えなかったね」

窓辺まで、たった1メートルくらいなのに、実際的な距離を置いてしまうと、会話が続かなくなる。
距離だけじゃないのだろうか。
照生が、遠ざかろう遠ざかろうとしている気がして、私は少しずつ自信を失い始める。
会えば氷が解けるように、止まっていたあの日の続きが始まると思っていたのは、
自分勝手な思い込みだったのだろうか。
なんとかして繋ぎ止めようと、照生が聞きたそうな話題を探す。

「駈ね、大学出て、旅に出てたのよ」
「旅? 大学は何勉強してたんだ」
「んー、私にはよくわからないんだけど、環境と社会生活を結びつけるような、
そういうシステムを作る勉強だって言ってた。認知科学とか物質情報学とか……」
「俺が聞いても、なおわからん。それで、何で旅を?」
会話が続く。駈が私たちを繋ぎ止めてくれる。そう思うと嬉しかった。
「あのね、料理人になるんだって」
「料理人……」
照生はまた、顔を曇らせた。視線が暗い海へ向く。
「そうなの、大学通いながら調理師免許取って、それで料理人になるって……」
「免許取るだけなら、誰でもできる。でも、それは料理人じゃない」
照生は視線をそらしたまま、厳しい声で言った。
「わかってる。駈はそれから、各地の郷土料理を学ぶために、日本各地を回ったの。
バックパックひとつ背負って、北から南まで、農家に泊めてもらって、稲刈り手伝いながら、
旬のお料理教えてもらったり、夏は利尻でコンブ漁のバイトを住み込みでしながら、
北海道の料理を教えてもらったり……とにかく、自分の足で日本の各地に生きる料理を、
学びたかったんだって。お金ないから、貧乏旅行よ。泊まる所がない時は、駅で寝たりしたって。
帰ってきたら、別人みたいに逞しくなってたわ」
「郷土料理か……」
照生は表情を緩める。
「そうなの。駈はあなたが作ってくれたご飯が、一番おいしかったって、いつも言ってた。
あなたに教えてもらった飾り切りを、あれからも一生懸命練習して、
学校の飾り切りコンテストで優勝もしたのよ。
今は、名古屋の料亭で修行してる。あなたの背中を追いかけてるみたいに……」
「やめてくれ!」
悲痛な声で怒鳴ると、照生は私をにらみつけた。
そんな目じゃない。ずっと待ち焦がれていたのは、そんな目じゃない。
そう思いながらも、私は黙って照生の視線を受け止めた。
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