五月の朝のしののめ、うら若草の燃えいづる心まかせに……
そんな詩の書き出しを思い出すような、明るくてまばゆい朝。
晴れわたった青空の光を吸収するように、高い木のてっぺんで白い花が咲いている。
ニセアカシアの花だ。花は天空からふんだんに香りを降りそそぎ、5月の風を甘くしている。
その花の名前をはじめて知った頃に、このブログに次のような文章を書いたことがある。
「須賀敦子の本を読んでいたら、イタリアの風景の中にニセアカシアの名前が出てきました。この樹はむしろ、地中海の風と太陽に合っているかもしれない。
須賀敦子はイタリア人と結婚し、日本文学の翻訳などをしながら、長くミラノで暮らした人です。
小さな家と小さな庭、狭い生活の空間を家族が取り合ったり譲り合ったりして暮らしている。そんなイタリアの鉄道員やその家族の下層の生活が、愛情のこもった美しい文章で書かれています。」
須賀敦子の文章に惹かれて、彼女のいろいろな小説や随筆などを読んでいた頃だ。イタリアでも同じ花が咲いていることを知った。
空を覆うように咲いているこの花は、むしろイタリアの明るい風景にマッチしているかもしれないと思ったものだった。
あれから、この花を見るたびにイタリアの風景を思い浮かべてしまう。とはいっても、行ったこともないイタリアだから、想像の風景にすぎないのだけれど。
それと、古いイタリア映画の映像も背景にある。あらすじも忘れてしまったが、鉄道員の暗い生活が須賀敦子の鉄道員とダブっていたのかもしれない。
ところだろうか。レレレのレ~なのら。